東日本大震災

私は、関西に住む者です。今度の震災に関しては、ただただ、テレビ、ラジオ、新聞などから見聞きするだけですが、惨劇の大きさにただただ驚き、立ちすくむばかりです。母を亡くして2年。肉親を亡くしたときの、うちひしがれた気持ちを思い出します。病で亡くしたときでさえ、強く打ちのめされたのですから、この度の震災で肉親や友人を、すべてとともになくされた方々の心情を思うといたたまれない気持ちになります。
私の住むマンションからも消防隊員として福島に行かれた方がいらっしゃいます。また、会社の同僚の知人に自衛隊の方がいらっしゃるとのことです。その方は、被災地から帰ってきて口を利かなくなったそうです。被災地で無くなられた方の体を洗ってあげていたそうです。幼いお子さんも含まれていたとのことです。よく似た記事が新聞にもありました。警官として最初の仕事が、無くなられた方の体を洗うことだったそうです。
私に何ができるのだろうか。そしてそれは、これからの10年、20年と考え続けなくてはならない事なんだと思います。
あまりのことに言葉として出すことができず、随分遅くなりましたが、無くなられた方々のご冥福を心よりお祈りし、無事だった方々の今と未来に何か貢献することを誓いたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「おまけのおまけ」

MY BOOK:「ワンダフル・ライフ:WONDERFUL LIFE バージェス頁岩と生物進化の物語」(スティーヴン・ジェイ・グールド著、渡辺政隆訳、早川書房)

おめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
なんとまぬけな新春のごあいさつとなってしまいました。お正月は「何もしない」と心に決めて、何もしなかったのですが、皮肉なことに、これほど目標通り1週間を過ごしたのは、生まれて初めてかも知れません。ところが、今週はなんと意に反して、インフルエンザで倒れてしまいました。やっと少し落ち着きましたので、今度は、したくても「何もできない」このときを使って、ご挨拶するに至ったしだいであります。
かつての林家三平師匠ではありませんが、「ほんとに、皆さん、体だけは気をつけて下さい。」
さて、前回はおまけとは言え、後半は映画と大きく離れて、大好きなアノマロカリスの話題でした。不謹慎ながら、さらにおまけのおまけとさせていただきまして、「ワンダフル・ライフ」の著者、スティーヴン・ジェイ・グールドが、この本の「序言および謝辞」の中で、映画を例にとって説明を加えているところが2カ所ありますので、ご紹介したします。

まずは1カ所目。
「本書の書名は、二重の驚嘆(ワンダー)の念を込めたものである。すなわち、生物そのものの美しさに対する驚嘆と、それらが駆り立てた新しい生命観に対する驚嘆である。オパビニアとその仲間たちは、遠い過去の不思議な驚嘆すべき生物(ワダンダフル・ライフ)の一員だった。それらはまた、歴史における偶発性というテーマを、そのような概念を嫌う科学に押しつけてきた。これは、アメリカでもっとも愛されている映画のいちばん記憶に残るシーンの中心テーマである。ジェイムズ・スチュアートの守護天使が、彼の登場しない人生の録画テープを見せ、歴史の中の一見無意味な出来事がその後の歴史にとてつもない影響力をもちうることをまざまざと示す、あのシーンがそれである。科学は、偶発性という概念を扱いあぐねてきた。しかし映画や文学は、常に偶発性の魅力を見出してきた。映画『素晴らしき哉、人生!』(It's a Wonderfull Life)は、本書の主要なテーマを象徴していると同時に、私が知る限りではもっともみごとに例示している。」

この本の書名はどうやら、映画「素晴らしき哉、人生!」からとったようですね。
「オパビニア」は、これもカンブリア紀を象徴する生物で、一見生物とは思われない形をしています。本のカバーのイラストとして使われています。前衛的な彫像のような、あるいは子供が自由な発想で作った生き物のような形をしています。
映画「素晴らしき哉、人生!」は、アメリカ映画ベスト100なんかに必ず上位に出てくる作品です。クリスマスの日に自殺を図ろうとする主人公に天使が彼のいなかった世の中を見せるというもの。実は、私、まだ観ていません。いつか必ず観てまた紹介したいと思います。

そして、もう一つ。
「偶発性という領域における秩序の第一の基準は、年代順ということであるし、またそうであらねばならない。バージェス頁岩に関する解釈のしなおしは一つの物語、最高度の知的価値をもつ驚嘆すべき壮大な物語である。しかもそれは、誰一人として殺されも傷つきもせず、かすり傷一つ負った者もいないまま新世界が発見された物語である。この物語を正しい時間的順序で語る以外、私にできることなどあるはずもない。映画『羅生門』のように、傍観者や当事者といえど、このように入り組んだ話を同じしかたで物語れる者は二人といないだろう。それでも、時間的な順序にしたがって土台をすえることはできる。私は、この時間を追って展開した一連の出来事を緊迫したドラマとして見るようになった。」

「真実」とはなにか。
「羅生門」はご存じ、黒澤明監督の名が世界に知られるきっかけとなった最初の映画で、1951年のベネチア国際映画祭でグランプリを受賞しております。しかも、1982年には過去のグランプリ作品から最高の栄誉金獅子賞も受賞したとのことです。
私は、テレビ放映で観ました。あいにく音声が聞き取りにくいところがあり、十分に映画を楽しめたわけではありませんでした。しかしながら、森という密室で起こった暴行と殺人という衝撃的な事件設定。そして同じ事件のことなのに、当時者や傍観者の説明が全く食い違うという物語。また生々しいほどの登場人物の欲望と情念。そしてそれらに突き動かされる人間の愚かしさは、十分に味わうことができました。
「真実」とは何か。それは現実にあるものなのか、それとも真に信じれるものということなのか。
また「現実」とはなんなのか。この耐え難い「現実」とは。
入り組んだ物語で、「現実」というものが崩壊したらどうなるのかと問う映画もたくさんありますね。最近では「インセプション」がありました。「13F」というのもありましたね。この両者はよく似ています。「マトリックス」も嘘の「現実」の世界を描いていると言えそうですね。
タイムトラベルが絡んだ物語も、世界という「現実」の脆弱さを語ってくれてるように思います。変わったところでは、「The Butterfly Effect」というものや、「シャッフル」なんていうのも。「時をかける少女」や「バック・トウ・ザ・フューチャー」というのもそうですね。「ターミネーター」シリーズも「運命とは自分で切り開くもの」と言いつつ「未来」という「現実」に翻弄される主人公達を描いてますね。

すみません。随分話が飛んでしまいました。とにかく、「羅生門」では、結局「真実」とは他人のことではなく、「自分」のことなんだ、「自分」の中にあるんだということを学びました。
「過去」に起こしたことについて言い訳や解釈することの無意味さ、そして「今」実際何をするか・「これから」何をしようとしているかということの大切さを考えさせられました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

生活サイクルを考えて

生活サイクルが変わって、ご無沙汰が長くなりました。
思えば、私の書くことについて最も影響を与えたのは、スティーヴン・ジェイグールドの「パンダの親指」(早川書房)でした。
パンダの手には、本来の5本の指の他に第6番目の指があるのをご存じでしょうか。パンダはこの6番目の指を器用に使って、竹を食べているのです。しかし、それは自然が生んだ、”飛躍的で奇抜な進化の証し”ではなく、華麗なランでさえ選択した地道な方法と同じで、従来持っていたものを利用しただけのものなんだとジェイグールドは言います。それこそが、進化を正当に見つめる観点なんだと教えてくれるのです。
これだけでは伝わらないことは重々承知のつもりです。是非、実際に本を読んでいただきたいものです。
「進化論再考」と副題を持つこの本は、生物学のエッセイを集めたものですが、その内容の魅力的なこと。すべてのエッセイで、それぞれがまるで興味が湧きそうもないその出だしとは裏腹に、最後には一種の感動さえ抱かせてくれるため、「次は何を?」と止まらなくなってしまうのです。
エッセイひとつひとつが楽しく、魅力的で、示唆に溢れているのです。
私も、技術情報のうち、故障修理ということに関して、ジェイグールドのまねをして、エッセイ風に、物語風に記事にして、技術情報誌を社内で発行してことがあります。結果は、「長くて分かりづらい」というものでした。
この「字幕観賞」も、日記のごとく書くのではなく、ひとつひとつを完結したエッセイ風に書くことを課題にしていました。
だから、ひとつに数日で済むこともあれば、1ヶ月かかったり、3ヶ月かかったりもしました。
でも、今は5ヶ月たっても、何も書きためてない状態が続いています。
そこで、これからは完結したひとつのエッセイを目指すのではなく、しばらくのあいだ、今の生活サイクルに合わせて、僅かな時間を見つけて、「継続」していくことに重きを置いて、続けて行きたいと考えています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

1万件を越えました

お陰さまで本日、通算アクセス数が1万件を越えました。
プロ野球選手ではありませんが、これも通過点に過ぎませんが、いつかそうなればいいと思いつつ日々を送っていたことも事実であります。正直なところ、うれしいです。
今は「ドライビング・ミス・デイジー」に滞りながらの記事が続いておりますが、相変わらずのアクセスありがたく思っております。早く「アバター」あたりを味わってみたいものだと思いつつ、日常に流されている今日この頃であります。
ついでですが、2009年9月に「3年が経ちました」を書いたときと、今ではかなりベストテン(?)に変化がありますので、お知らせしておきます。今回も訪問数の多い順で並べてみました。最近だけに限って言えば、1日のアクセス平均は10〜20件といったところです。ときどき、30件とか50件とかありますが。これは、どなたかお一人が、一度にたくさんあちこち見回るというのが起こるせいのようです。3ヶ月くらいに一人くらいの方が、そのように来られます。

シカゴ(2008/7):801
グッド・ウィル・ハンティング(2007/11):338
シュレック3(2008/11):287
羊たちの沈黙(2008/6):258
プライベート・ライアン(2007/10):233
ローマの休日(2009/5):227
プラウダを着た悪魔(2007/6):191
カサブランカ(2006/9):184
恋におちたシェークスピア:183
ショーシャンクの空(2008/3):166
レオン(2008/1):164
グラントリノ(2009/11):140
ゴッドファーザー(2010/1):139
ダーク・ナイト(2009/8):129
五嶋みどり(2007/11):124
シカゴ(2)(2009/1):110

以上が、現在訪問数100以上です。検索のキーワードは、やはり「all that jazz」と「live and let die」が多いですね。グラントリノが登場して、「zipperhead」というワードでの検索も見られるようになりました。意外でした。グラントリノは悲劇的な結末だったので、アクセスも低いだろうと思ってました。そういう意味でも意外でした。
「ゴッドファーザー」はやはり、予想通り「I'll make him an offer he can't refuse.」の言葉や、その一部での検索が多いです。
自分としては、「ローマの休日」がゆっくり取り組めたのもあって、訪問数が伸びているのがうれしいところです。セリフに出てくる詩に関する検索が多いです。
「カサブランカ」の「a lot of water under the bridge」は、いつまでも検索が多いワードです。目を引く表現ですものね。
五嶋みどりさんの記事の訪問がコンスタントなのは驚いています。他ならまだしも、私の記事ですから。
それから、「グッド・ウィル・ハンティング」の「It's not your fault.」は、英語でそう言うんだなって納得した言葉でしたね。

とにかく、ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「And I always want to tell them "thank you very much for giving me a place to be." 」(CD+DVD「Hiromi /PLACE TO BE 」より)

MY DVD:CD「Hiromi /PLACE TO BE 」+「BONUS DVD」  TELARC CD-83695JDVD

上原ひろみさんはすでにたいへんご活躍のミュージシャンですが、私はうかつにもほとんど知りませんでした。しかし、テレビでたまたま「CHOUX A LA CREME:シュー・アラ・クレーメ」を見たところ、完全に度肝を抜かれてしまいました。この1曲だけでしたが、心を奪われるのに十分でした。
音楽に造詣の浅い私ごときの感想は誰も聞きたくないところでしょうが、しかし、これまで聞いたことのある演奏は素晴らしければ素晴らしいほど、感じるとすれば魂から音楽への変換の素晴らしさでしたが、上原ひろみさんの演奏は、魂からダイレクトにピアノの音になってるという印象でした。天才とか言うものを越えている印象でした。別の生き物と言いましょうか、異質でさえありました。しかし、この驚きは、この上なく心地よいものでした。そしてその彼女が若いときから世界に認められていることを知り、世界がびっくりしていることに満足しました。私は理由は分かりませんが、キース・ジャレットを思い浮かんでもいました。あえて言うなら、彼は魂から旋律が生まれ出ている感じでしたでしょうか。

上原ひろみさんのCD、「PLACE TO BE」を購入したところ、ボーナスDVDがついてました。それにはスタジオでの演奏と、レコーディングをしている当時のインタビューが入ってました。
いつもなら英語字幕と日本語字幕をご紹介するところですが、さすがに英語字幕はありませんでした。それで、必死で聞いて英文にしてみました。残念ながら、共同プロデューサーの方のインタビューには意欲が湧きませんでしたので、日本語字幕だけご紹介します。
「PLACE TO BE」って、「いるべき場所」ということですが、「居場所」と翻訳されてました。ツアーの中、自分の居場所を見失ったとき、観客の笑顔で自分の居場所がステージであることに気がついたとのこと。そう聞くと、とても、「PLACE TO BE」はいい題名、アルバム名だなと感心したものです。
そして、あの「CHOUX A LA CREME:シュー・アラ・クレーメ」は、どうやらフランスのシュークリームのことのようですが、不遜で子供じみた願いですが、私もあのようになれるシュークリームを食べてみたいものです。

20代の自分というものを形にしておきたかった
「ソロ・ピアノ・アルバムを創るという事は、全てのピアニストにとって夢だと思いますし、ソロ・ピアニストとしての20代の自分の音を30才になる前に録音したかったからです。来週30才の誕生日を迎え、このアルバムがリリースされる頃には30才になっています。自分の成長を自分自身でとらえるため、各年代に1枚はソロ・ピアノ・アルバムをリリースしたいという夢もありました。20代の溢れるエネルギー、未熟ささえ、こういったすべてのエッセンスは、音楽にとって、とても貴重なものです。10年後の自分の演奏は、必ず今の自分の演奏とは違ってくる。だからこそ、20代の自分というものを、形にしておきたかったのです。」(日本語字幕より)
「I think recording solo piano record is every pianist's dream. And I'm... I also wanted to record sounds of my twenties as a solo pianist before I get 30. 'Cause I'm becoming 30 next week, and by the time this record gets released, I'll be 30. And I want kind of a dream to do a solo piano record every decades to see how I grow up. And I'm... When I am in twenties, I think, it's... it's just like life that you have very energetic youth and also you have immaturity. And I think every essence like this is very precious in music. And I would never be playing like I play now in 10 years. So I just want to, you know, have a capture my twenties. Yeah.」(筆者のあてにならない耳)

”私の居場所を与えてくれてありがとう”と、いつも感謝します。
「このアルバムを創ろうと思った理由は、いつもツアーをしていて自分の本当の居場所はどこかという事を考え始めたからです。ツアーをするという事は、家族とも離れ、飛行機や列車で移動し、毎日違うホテルで眠る、楽な事ではありません。でもステージにあがってオーディエンスの、素晴らしい笑顔を見た瞬間、全てが報われます。そして”私の居場所を与えてくれてありがとう”と、いつも感謝します。このアルバムは音楽で書いた、紀行文のようなものです。シチリアの曲、ベルンの曲、私が5年過ごしたボストンの曲もあります。絵日記のようなものです。それぞれの土地に素晴らしい思い出があります。いつかその場所に戻って、私に居場所をくださった全ての人たちに、感謝の気持ちをもって、このアルバムの曲を演奏したいと思っています。」(日本語字幕より)
「The reason why I came up with this... some... album was.. Because I'm... I travel all the time. I'm turing all the time, and then I started to wonder where is my place to be. And whenever I travel, it's.. you know, I have to be away from my family, I always have to, you know, be on planes and trains, sleeping in different hotel everyday. It is not quite easy. But when I go on the stage, and when I see these... this amazing smile of audience, that really fulfills me. And I always want to tell them "thank you very much for giving me a place to be." So I started to, you know, write journal in music. I have a track from Sicily. I have a track from Bern, Switzerland. I have a track form Boston, you know, I lived there for 5 years. So it's like a traveling diary for me. This record. So I have a lot of memories. And, you know, I hope I can go back the places that, you know, I feel really at home, and I want to play these songs to the audiences that I really want to thank.」(筆者のあてにならない耳)

彼らの演奏の引き出しの多さにとても驚きました。
「伝説ともいわれる素晴らしいミュージシャン達と演奏する事は音楽について学ぶ、最も素晴らしい経験です。彼らの演奏の引き出しの多さにとても驚きました。音楽においても人生においても、これから多くの経験を重ね、もっといろいろな深い意味のある言葉を、音楽で語りかける事ができるようになりたいです。」
「Playing with such legend was definitely amazing learning experience. And.. I was so amazed by how much vocabularies they have in the playing. And, you know, I just.. I can extend my vocabularies. I can.. It's just like living a life. You know. I just have to experience more things in music. It''s just like experiencing more things in life. And.. I want to speak more meanings for words in music.」(筆者のあてにならない耳)

「vocabulary」は「語意」。”ある職業・専門分野・個人などの用いる語の全体”とあり、”単語1つやばらばらの単語の集団ではない”とあります。従って、あるかまたまりとなっているものとして表され、「many vocabularies」とは表現しないようです。「a rich [small, limited, poor, medical]vocabulary」で「豊富な[少ない、限られた、貧弱な、医学関係の]語意」となります。
ついでながら、ナポレオンの言葉として有名な「余の辞書に不可能という文字はない」は「the word "impossible" is not in my vocabulary.:私の辞書に不可能という言葉はない」からきているかも知れませんね。

( Michael Bishop/Co-Producer & Engineer)
「このアルバムは、彼女の6枚目のアルバムになります。私達の関係は彼女の最初のアルバム「アナザー・マインド」から、このアバター・スタジオでスタートしたのですが、当時のことを思い返してみると、それは”いったい彼女はどこから来たのか”を示す、1枚目にして大変素晴らしいアルバムでした。以来、彼女はさらに成熟し、真に才能のあるアーティスト、つまり作曲家・ピアニスト・編曲家、バンドリーダーとして成長してきています。彼女はそういったものをひとつにする事で、音楽業界の原動力となってきました。そのような過程を見る事ができた事はとてもエキサイティングな事でしたし、彼女の成長、彼女の音楽の一部に参加できた事は大変光栄な事です。彼女の新曲を聴く時はいつも興奮します。私は過去の何作かで、共同プロデュースをしてきました。私は彼女のディレクションを信頼してますし、彼女も私のディレクションを信頼してくれています。とても協力的な関係で、一緒に仕事ができる事を名誉に思っています。彼女から私の大きな贈り物のひとつは、創造の自由を与えてくれる事であり、その上で、私は彼女がスタジオで描くものを、美しい”音で聞く絵画(Audio Picture)”として創り上げます。彼女がスタジオで描く世界を、彼女のファンや全世界にもたらす機会を、私に与えてくれます。彼女は多くの方法と多くの自由を与えてくれますので、一緒に創った音を美しい”音で聞く絵画(Sound Picture)として、創り上げる事ができるのです。」(日本語字幕より)

ピアノの持つ全ての可能性を、引き出す最大限の努力をしないといけませんでした。
「レコーディングはとても大変でした。こんなに大変だとは思ってもみませんでした。それこそずっと演奏していなければいけないので、24時間マラソンのようでした。体力的にも疲れますし、いつも集中していなければいけません。でも素晴らしい経験です。とても疲れましたけど、たくさんの発見から多くを学ぶ事ができました。ソロ・ピアノの曲を書くという事は、自分自身がドラマーであり、ベース・プレイヤーであり、オーケストラである必要があります。そのためには、ピアノの持つ全ての可能性を、引き出す最大限の努力をしないといけませんでした。ただただ、ベストを尽くしました。」(日本語字幕より)
「For recording was very hard, I never imagine it to be hard, because I have to basically play all the time, it is 24 hour marathon. And it's physically tiring, and also...I need to be focused all the time. And it's just... It was amazing experience, but very exhausting. And I learned a lot. It's new thing that I learned. And for compositional staff... recording for solo piano... setting I have to be a drummer. I have to be a base player. I have to be a full orchestra by myself. So I was just trying to pull out the full potential that piano could have. And I just do my best.」(筆者のあてにならない耳)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

3年がたちました

2006年9月から3年たちました。昨年11月頃、アクセス数が累計で3000件を越えたことを感謝の意味を込めて、お知らせしましたが、今年は9月で累計が6000件を越えました。とてもありがたく思ってます。
なにがどうというわけではありませんが、累計で訪問数が50件以上あったものから、多かった順を並べてみました。アクセス数というのもあるのですが、今回は訪問数で並べております。
シカゴ(2008/7):325
プライベート・ライアン(2007/10):180
グッド・ウィル・ハンティング(2007/11):162
羊たちの沈黙(2008/6):148
カサブランカ(2006/9):132
ショーシャンクの空(2008/3):125
プラウダを着た悪魔(2007/6):120
シュレック3(2008/11):116
レオン(2008/1):99
五嶋みどり(2007/11):90
ローマの休日(2009/5):82
エイリアン2(2007/3):67
Vフォー・ヴェンデッタ(2008/8):62
ハリーポッター1(2006/10):61
ペリカン文書(2006/3):58
スターウォーズ2(2008/2):55
プライドと偏見(2008/8):55
シカゴ(2)(2009/1):54
ロレンツォのオイル(2008/7):52
コマンド(2007/12):50
「And All That Jazz」を求めてアクセスしていただいた数が他を圧倒する結果となりました。映画の中の挿入歌を取り上げたもので、「シュレック3」の「Live and let die」もそうで、こちらも上位に入りました。
記事の書き方と言いますか、スタイルはバラバラで、こちらが良かったから、あちらもいいだろうと思われて、訪問していただいた方には肩すかしを送ってしまったのではないかと、反省しております。
それでも、やはりいい映画、内容のある映画などが上位にあることは、良い映画に出逢おうとする方の思いが反映されているのかなと感心しております。
意外なのは、「五嶋みどり」さんの記事が入ったこと。それと「ロレンツォのオイル」はテレビで観て感動して記事にしたのですが、意外とアクセスがあったということでした。
五嶋みどりさんのことは、海外で高い評価を受けているのに日本人の私たちの方が知らないという感じでしたが、さすがにインターネットを叩くと、五嶋みどりさん関連はたいへん多く、私の記事にもアクセスをいただいたことは、光栄なことだと思います。
英語字幕を観賞するというなじみにくく、わかりにくい内容のブログなので、私の記事のアクセス数でなにか語れるものではないとは思いますが、途絶えることなく、毎日アクセスしていただいていることは、ありがたいことだと思ってます。
最近のものでは、母が亡くなったあと、やっと書く気になったのが「ローマの休日」で、最近のものにしては訪問の数を多くいただいているのに感謝しております。
未だに気のゆるむ、運転中などには母のことを思い出して、泣きそうになります。精神的に立ち直ってるとは言い難く、映画もまだ深く観賞するまでに至ってないかなと思ったりしています。
この連休で、何か小さなものでも見つけられたらなと思っております。

話は変わりますが、「ゆれる」をテレビで観ました。人の命が失われた、あのような事件のさなかにも、人のわずかな心の「ゆれ」が、人の言動を左右したり、思い込みを起こすことを描くなんて、なんて怖い物語だったことか。人の業(?)って怖いものですね。
単純ですが、人とはちゃんと手をつないでおこうと思いました。本当に単純ですみません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

メール・アドレスのご案内

忙しいのをいいことに、ブログの工夫を怠っています。これも、その表れと言えるものですが、ニフティさんに無料メールがあったので、これを紹介したいと思います。
なにかございましたら、お送りください。ただ、めちゃくちゃ返信は遅いと思いますが、努力するつもりです。あしかず、ご了承下さい。

メール・アドレス:
hiroshi.hamada@nifmail.jp

よろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「二年が経ちました」

先日お陰さまで、累計アクセス数が3000を超えました。2006年の9月に始めましたから、2年とちょっとです。最初の頃はアクセスなんて、ちっともありませんでした。でも、1日に1件でもあれば随分励みになりました。今でも、飛躍的に数が増えたわけではありませんが、とてもありがたく、楽しくやらせていただいております。本当にありがとうございます。
まあ、ホームページのデザインなどほったらかしでした。いや、これからも、まあ愛想なしなんですが、これまた先日少しだけ雰囲気変えてみました。ええ、なんの工夫もないんですが。
で、「何か新しいことを」と思い、次のはアニメを考えています。「シュレック」というのはどうでしょうか。前回の続きってわけではありませんが、フィオナ姫の声をキャメロン・ディアスが手がけています。シュレックがマイク・マイヤーズというコメディアンだそうで、顔は見覚えあるのですが、イマイチ思い出せないでいます。ふるってるのは、ドンキーのエディ・マーフィでしょうか。
「シュレック」の場合、吹き替えがこれまたハマってます。濱田雅功。一度聞いてしまうと、彼以外には考えられなくなります。そして、フィオナ姫が藤原紀香。ドンキーの山寺宏一。それぞれ、ぴったしカンカン。(ちょっと古くてすみません。)
相当古いのでは、「ひょっこりひょうたん島」なんていうのもありましたね。井上ひさし氏の脚本だったそうですが、なんとこの「ひょっこりひょうたん島」は「波をちゃぷちゃぷ追い抜いて、スーイ・スーイ」と船のように海を進み、「まるい地球の水平線に、何かがきっと待っている」と旅します。歌あり・冒険ありで、「シュレック」に匹敵するくらい当時は私たちに夢を与えてくれたように思います。ドン・ガバチョの歌に、「今日がダメなら、明日があるさ。明日がダメなら、明後日があるさ。明後日がダメなら、明明後日があるさ。どこまで行っても明日がある。ドン・ドン、ガバ・ガバ、ドン・ガーバチョ」ってのがありますが、これで当時自殺を思い留まった方がいらしたとか。今なら、3D・CGアニメで再現すれば面白いのじゃないかなと思いますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「Purpose in Life」(本:岡堂哲雄監修「生きがい」より)

映画「ショーシャンクの空に」では、いかなるものも触ることのできない「精神の自由」、そして「希望」がキーワードだったと言えます。
私は、そこで「希望」について何か語るべきだと考えていました。収容所と「精神の自由」で思い出すのは、ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」(みすず書房)でした。しかし、この本のことを持ち出すのはどうかと、随分迷いました。最終的にはフィクションである映画の世界と歴史的事実である強制収容所の内容はやはり相容れないものと判断しました。少なくとも映画の紹介の中には使えないと思いました。しかしながら、私自身はどうしても触れずに通り過ぎることはできなかったのです。私自身が内なるよりどころということについて、今一度考えてみたいと思ったのです。そして、文章にすることでより整理できると考えました。

まず、強制収容所についてまったく知らない人のために少しだけ述べておきます。第二次世界大戦の中、ドイツ・ナチスによる、ユダヤ人虐殺の舞台が各地に作られた強制収容所でした。アウシュビッツ強制収容所だけで300万、全体で600万の人命が絶たれたと言われています。
私は、この「夜と霧」を読み返してみました。本を開いただけで、脈拍が早くなり、気分が悪くなるのを感じました。深い沈鬱に包まれました。味わいたくない悲惨と絶望。人間はどうしてこのようなことをすることができたのかという、深い怒りと悲しみ。解説にある想像を絶する悲劇。何よりもそれが事実であること。そして、本文はアウシュビッツ強制収容所を中心とした、フランクルの実体験である。彼は自らの体験を心理学者として語ろうとしています。
強制収容所に到着した人々はいとも簡単に選り分けられ、9割の人間がガス室に送り込まれ殺されたのです。残って囚人となった人々は、まったく人間性を否定されました。すべての持ち物を奪い取られ、番号でのみ呼ばれたのです。そして、なお常にガス室に送られるかどうかの恐怖に晒されながら、つらい強制労働があり、僅かなパンと水のようなスープによる飢餓状態。発疹チフスによる死の恐怖。理不尽な理由による拷問など。

フランクルは、こうした想像を絶する過酷な現実の中で、内面のよりどころを失った者が、精神的身体的崩壊に至ったとしています。
「1つの未来を、彼自身の未来を信ずることのできなかった人間は収容所で滅亡して行った。未来を失うと共に彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落したのであった。」(「夜と霧」より)
例として、夢の中でいつ収容所から解放されるか声を聞いた人の場合が紹介されていました。彼はそれが5月30日であると聞いたのです。最初彼は希望に満ちていたが、次第に戦況は5月中の解放など望めそうもないことになった。そして5月29日に高熱を出して発病した。5月31日に、彼は発疹チフスで死んだのである。また、1944年のクリスマスから1945年の新年の間に未だかつてなかった大量の死者が出たことを述べています。この大量死の原因は、過酷な労働条件でも悪化した栄養状態でも、伝染病のせいでもなく、クリスマスには家に帰れるだろうという希望に対する落胆や失望であったというものである。
しかし一方で、非常に少なくはあったが、人間としての尊厳を保った人たちがいたのである。
毎日の食料を奪い合うような状況の中で、人に食べ物を与えた人がいたのである。
フランクルはより具体的に一人の女性のことを語っている。
「この若い女性は自分が近いうちに死ぬであろうことを知っていた。それにも拘らず、私と語った時、彼女は快活であった。『私をこんなひどい目に遭わしてくれた運命に対して私は感謝していますわ。』と言葉どおりに彼女は私に言った。『なぜかと言いますと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを追ってはいなかったからですの。』」(「夜と霧」より)
フランクルは、「まず最初に精神的人間的に崩壊していった人間のみが、収容所の世界の影響に陥ってしまうことを示している。」(「夜と霧」より)と言います。そして、人間的に崩壊してしまった人間にとって、「過去への回顧」が言語を絶する現実に目を閉じる方法となったようです。しかし、現実から過去に逃避する方法は、周囲の現実の価値を低下させることであり、そのことはある危険を内包していると言うのである。曰く、「かかる人々は、著しく困難な外的状況こそ人間に内面的に自らを超えて成長する機会を与えるものだということを忘れているのである。」(「夜と霧」より)
なんという厳しさでしょう。非常な過酷の状況で、かついつ終わるとも分からない絶望に近い現実を前に、成長するということを問うています。私たちの人生は、私たちが生きるということは、それほどまでの生だったのか。戸惑いを隠せません。
つい最近、NHKの「ドキュメント スポーツ大陸 スポーツ史の一瞬『立体泳法 金メダルへの執念』」という番組で、メキシコ・オリンピックで泳法違反の判定で挫折した、平泳ぎの田口選手が、次のミュンヘン・オリンピックまでの4年間、ありとあらゆる泳法・訓練法・自己管理法を駆使して、ついに金メダルを獲得した物語が紹介されていました。その番組の最後に田口氏は言います。
「本当に金メダルが取れると思えること」が大切であるとしていました。
私は彼の言っていることと、フランクルの言っていることがまったく重なると理解しました。田口氏は、自分の未来を真に信じることができたからこそ、激しいトレーニングに耐え、ありとあらゆる創意工夫に情熱を傾け、自分、自分のやっていること、そして自分の立ち向かっている現実の価値を少しも下げることなく、むしろ価値を上げながら進むことができたのだと思います。
フランクルは重ねて厳しいときこそ自分の価値を発揮するときと説きます。
「強制収容所にいる多くの人間は価値を実現化する真の可能性はまだ先であると考えたのである。しかし実際はこの可能性は収容所のこの生活から生じるものの中にあったのである。すなわち多くの囚人の如く貧しい生存をするか、あるいは少数の稀な人々の如く内的な勝利かである。」(「夜と霧」より)
しかし、それは私にとっては今であることに気がつきました。過去に頑張ったときもありました。未来に想いを馳せることもあります。目に見える高電流の鉄条網があるわけではありません。あるいは不当な監視を続ける者が近くにいるわけでもありません。しかし、私は今でない、いつかどこかで自分らしさが発揮できると思っていました。考え直してみました。今ここに生きているのであるから、今ここで自分の価値を発揮しなくては、と。先ほどのフランクルの言葉で最後の部分は、なんだか「ショーシャンクの空に」の中のアンディーのセリフを思い起こさせました。
「必死に生きるか、必死に死ぬか。」(日本語字幕より)
「Get busy living or get busy dying.」(「映画で覚える英会話」より)
余談ですが、心理療法に「ゲシュタルト療法」というものがあります。フレデリック・S・パールズ博士(1893-1970)という人が提唱したのですが、非常に伝説的な人物だったようです。破天荒な言動でも名を馳せていたようですが、まるで魔法のように人々を治療し、心理療法家としても爆発的な人気を博した人であったようです。
そして、ゲシュタルト療法では、「神経症の人たちは、問題は『今ーここ』にあるのに、過去の未完結な問題に煩わされ、現在に十分に集中して関わることができない。過去の問題が本当に過去のものであるとるなら、それはもはや問題ではなく、現在には存在すらしていないことになる。しかし、過去の問題は、同化されることを待って、生きたまま、中断され、凍結されているのである。それを同化できるのは『今ーここ』でしかない。」(至文堂 倉戸ヨシヤ編集 「現代のエスプリ 375 ゲシュタルト療法」より)として、「今ーここ」で未完結の問題を、心理劇のように再体験することで、同化し完結させようとするものである。私にとって、神経症の人たちと私との間には違いがないと同じで、過去から現在まで、ある事柄に関してはうまく対処できなくて、いつも同じ効果のないことを繰り返しては怒りや悲しみを味わう、いくつかのパターンを私は持っています。「トラウマ」や交流分析の「脚本」・「ゲーム」に関係するもので、誰でもあるものと思います。
ゲシュタルト療法は、「今ーここ」のセラピーとも言われました。この独創的で、特異な、そして臨床心理学と禅の思想を融合したもと言われるこの療法はしかし、精神医学の領域におけるフロイト以来の革新的な療法として認められるようになっています。
実は今気がついたのですが、状況はまったく違うので乱暴とは思いますが、ゲシュタルト療法での神経症の人たちと、精神的人間的に崩壊して過去への回顧に捕われている囚人とは、形態に重なるところがあります。
ゲシュタルト療法でも、過去の未完結の問題を「今ーここ」で自らの気づきで同化・完結すると言うなら、つまり自らの力で現実に正しく対峙できるようになることが重要なことと考えることができそうです。
ついでに、せっかくですから、有名な「ゲシュタルトの祈り」をご紹介しておきます。
「私は私、
あなたはあなた。
私がこの世に生きているのは、あなたの期待に応えるためではない。
また、あなたがこの世に生きているのは、私の期待に応えるためではない。
私は私です。
あなたはあなたです。
アーメン。」(ナカニシヤ出版 F.S.パールズ著 倉戸ヨシヤ監修 「ゲシュタルト療法 その理論と実際」より)

話を元に戻しまして、では、どのように我々は、内なるよりどころを持てば良いのであろうか。重ねて申しますが、フランクルは今ある現実を否定してその価値を下げることは崩壊の始まりと見ていたようです。つまり、現実を直視する態度を重要だと考えているのです。
「ここで、必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。」(「夜と霧」より)
そして、日々積み重ねる人生のことをこう言います。
「人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである。」(「夜と霧」より)
また、人生から与えられる苦悩は、「何人も彼の代わりに苦悩を苦しみ抜くことはできないのである」(「夜と霧」より)とし、一回性と唯一性とによって特徴づけられているとしています。つまり、「自分の苦悩は、唯一無二のもので、自ら責任を持って、自分のみが対峙(意識)すべき」と言い換えられるのであり、ここにすでに、彼が次に著した「愛と死 実存分析入門」(みみず書房)に示す、「意識性」と「責任性」の基盤となる考え方の萌芽が見て取れます。
「愛と死」において、フランクルはフロイトとアドラーの心理療法における業績を称えながら、フロイトの「精神分析」は意識に上がらない無意識領域の重要性を説くあまり、結果的に「意識性」を不当に低く扱っており、アドラーの個人心理学は人間が責任回避を試みるとして、人間の中の「責任性」を低く見積もっていると評価しています。
私の解釈では、誰にも拘束されることのない自由な精神だが、決して無意識の領域ではなく、自分を意識している自我の部分で、唯一無二の自分の人生に、責任を持って対応することが大切であるということになります。したがって、大切なのは、意志の力であったり、信念を持つことであったりするのではないでしょうか。

河出書房新社 岡堂哲雄監修 「生きがい」という本があります。この本は、フランクルの心理療法を基に作られたPILテストを紹介するものです。「PIL」は「Purpose in Life」の略で、「生きがい(人生の目的)」のことです。精神の健康の回復や向上にこのテストを使って、人生の目的や生きがいを見つけて役立てようとするものです。この本の中にはフランクルの考え方がやさしく紹介されています。

「フランクルによれば、人間はどのような状況においても意味を求め、また意味を見出し得る存在である。」
「精神はすべてから自由であり、そのような状況にあっても、それから自由に態度をとり、意味を見出し得るのである。しかし、自由ということは、勝手きままとは異なるのであり、人間性のもう1つの特徴である責任性と結びついているのである。」
「「人生の意味とは何か」と思索しても得られるものではない。」
「人生の方から「今あなたはどんな生き方をしようとしているのか」、「今、何をしなければならないのか」と絶えず問われているのである。」(「生きがい」より)

「私たち人間は、自分の意志で生まれてくるのではない。そして、死ぬのもまた、自分の意志によるのではない。意識をもって主体的に生きているのが人間の特徴であると言われているが、このような初めと終わりをもつ人生において、私たちは自分の意志通りにならない、いわば運命的・宿命的なものと出会いながら生きていく。このように自分の思い通りにならない人生に対してどのような態度をとるかーーー不運として諦め、無気力になるのか、のろわれた宿命に反抗し続けるか、これも自分の人生と受けとめて、そのなかで精一杯生きるかーーーは、個人の自由な選択なのである。私はこれ以外に意味を見出しようがないとか、このような態度しかとれないと思っている人もあろう。ところが、実は、異なる態度をとり得る可能性があること、人生は最後まで豊かな意味で満たし得るものであることを、フランクルや神谷(*)は示してくれたのである。」(「生きがい」より)(*神谷:らい病患者の多くが「無意味感」に悩んでいることを知り、「生きがい」の研究を行い、『生きがいについて』を1966年に出版した。)

「フランクルはこのように、意味を求める欲求、あるいは意志を人間に固有の基本的なものと考えたが、これは通常は、
1 何かを体験することによってーーーたとえば誰かに愛される、あるいは愛する、または美しい自然や芸術作品に出会ったりーーー体験価値の実現
2 何かを作り出すことによってーーーたとえば職場で創造的な仕事をしたり、子供を生み育てたり、趣味で独創的な作品を作り出したりーーー創造価値の実現
を通して満たされる。
しかし、たとえば不治の病の床にいる場合、重度の障害をもっている場合、フランクルが経験した強制収容所のような極限状況におかれた場合などは、経験価値や創造価値の実現は困難となる。フランクルはこのような状況にもかかわらず豊かな人生を送り得るのは、人間の精神が自由に態度を決定することができることによるのであって、彼はこれを『態度価値の実現』と呼んだ。そして、『態度価値』の実現を通して、人生は最期まで意味をもち得ることを彼は主張するのである。」(「生きがい」より)

私は、「刻々と変化する状況に対し、どういう態度をとるか」が問われているということを理解しました。
人生は選択することであるというのは、まず態度を選択することであることと理解しました。
精神が自由であることは、態度を選択する自由であることも。
「自己実現への道 交流分析(TA)の理論と応用」(社会思想社)という本で、『「勝者」と「敗者」というこばにはいろんな意味がある。勝者というのは、他人を制圧し、負かすことによって相手に勝つような人間のことを言うのではない。ここでいう勝者とは、その人個人としてみても社会の一員としてみても信頼することができ、たよりになり、同情心に富み、純粋さをもった人間、本心から反応の出来る人間をいうのである。敗者というのはこのような真実のこもった行動のとれない人間のことである。マーチン・ブーバーもこれをおなじことをのべている。彼は、一人のユダヤ教の司祭が死ぬ間際に自分を敗者とみなしたという古い話を持ち出している。その司祭は、自分は来世で、「なぜおまえはモーゼのような人間でなかったか」と問われることはないだろう、むしろ「なぜおまえは自己を実現できなかった、自分自身でなかったのか」と問われるに違いない、と嘆いたのである。』という私の好きな引用に登場した司祭に必要だったのは、人生に答える態度であったことを理解しました。
ウエイン・W・ダイアーは「どう生きるか自分の人生!」(三笠書房)という本で、『古代の哲学者エピクテトスは「哲学講話」の中で、自由について「自分自身の主人でない者は決して自由でない」と言っている。』と紹介し、「どのような場合でも、自分がとる態度を制御する力をあなたがもっているということを確信することからはじめなさい。」と言い、「あなたの態度の奴隷になるのではなく、態度を決定する立場に立つ決意を固めなさい。」と言っています。
スティーブン・R・コヴィーは著書「7つの習慣」(キングベアー出版)の中で、フランクルを大きく取り上げ、人間は刺激と反応の間に選択の自由をもっているとし、第一の習慣に「主体性を発揮する」ことを提唱しています。第二の習慣には「目的を持って始める」を提唱し、原則中心の生活を勧めています。ハウツーものに象徴されるような表面的な模倣に捕われず、彼の言う「人格主義の回復」によって、内なる指針に従って生きることを説いているのです。これもまた「態度価値の実現」とも言えるものと理解できます。
先頃ベストセラーとなった新潮新書の藤原正彦著「国家の品格」(新潮社)で、著者は「人間にとっての座標軸とは、行動基準、判断基準となる精神の形、すなわち道徳です。私は、こうした情緒を育む精神の形として「武士道精神」を復活すべき、と二十年以上前から考えています。」と述べています。私の勝手な解釈ですが、これも「態度価値実現」の復活と理解されます。
実存主義的な心理療法におけるキーワードは、「過去と他人は変えられない。変えられるのは自分である。」や「今、ここでの気づき」であると私は捉えています。映画「禁断の惑星」で紹介した、「ニーバーの祈り」の「主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、その両者を見分ける賢さを我に与え給え。」もこうした流れの中で生まれたものでしょう。
今回はたいへんな勉強をさせていただきました。手元にある本ももう一度それぞれ読み直したいと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

あけましておめでとうございます。

昨年末やっと古いiMacを新しいiMacに買い替えました。これでやっとパソコンでDVDを見ることができます。これまでは、映画の鑑賞や字幕の確認はリビングで、パソコンは寝室でと不自由してました。うれしゅうございます。
正月に高校の同窓会があって、その二次会で隣り合わせた小学校からの同級生と話していたら、突然携帯からすごい写真を見せられました。彼が音楽の先生をしていることを知ったので、神尾真由子や小沢征爾のことを話していたのです。私のブログは1日にアクセスが1件か2件程度なのに、神尾真由子さんを取り上げたとき、アクセス数が跳ね上がったのです。そんな話をしていたら、突然携帯から小沢征爾さんの写真を見せてくれました。なんでも娘さんが京都の芸術大学に行ってらして、オーケストラの指揮を学んでいるそうです。そこへ夏に小沢征爾さんが指導に来るとのことでした。写真は娘さんと小沢征爾さんのツーショットでした。毎年ということではないようでしたが、サイトウキネンのコンサートの前に来るらしいです。びっくりしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)