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「Because I choose to.」(「マトリックス レボリューションズ」より)

MY DVD:「MATRIX REVOLUTIONS:マトリックス レボリューションズ(2003年製作)」発売元:ワーナー・ホームビデオ DL33209

今回も紹介したい本があります。
松柏社 奥村みさ/スーザン・K・バートン/板倉厳一郎著 「映画でわかるアメリカ文化入門」です。
この本では、30本の映画を題材にアメリカ文化が紹介されています。その中で、「マトリックス」については、キリスト教的価値観が取り入れられていると紹介されています。たいへん興味深い内容です。
主人公ネオはもちろん映画の中でも「救世主」としての存在です。加えて、恋人のトリニティ:Trinityが「三位一体(さんみいったい)」で、映画の中で現実の人間が住んでいるザイオン(Zion)がユダヤ人にとっての約束の地シオン(Zion)を意味してるなどを教えてくれます。そして、この映画がキリストの受難物語をなぞっていることを示してくれます。
ちなみに、「三位一体」を広辞苑で引きますと、「(the Trinity)キリスト教で、創造主としての父なる神と、贖罪者キリストとして世に現れた子なる神と、信仰経験に顕示された精霊なる神とが、唯一なる神の三つの位格(ペルソナ)であるとする説。この3者に優劣の差はない。」となっています。残念ながら、ますます分からなくなりました。
ネオを救世主と信じて疑わないモーフィアス(Morpheus)はギリシャ神話に登場する眠りの神の子で夢の神(モルペウス)だそうです。
じゃあそれではと、この「レボリューションズ」に登場するナイオビ(Niobe)を辞書で引いてみると、「ギリシャ神話で愛児を皆殺しにされ、悲観のあまり石化してなお涙を流すタンタロスの娘(ニオベー)」となります。
こうなりますと、「マトリックス」3部作に登場する人物全部を調べなくてはならなくなりそうです。申し訳ありませんが、それは興味のある方におまかせしたいと思います。
とにかく、この映画で描かれてる、この世界が実は機械が支配しているプログラムによるものだという、一見荒唐無稽とも思える物語が、実は救世主受難の物語を意識していることを知っただけでも儲け物ですよね。ジョージ・ルーカスがアメリカに神話をSF映画「スターウォーズ」でもたらしたように、ウォシャウスキー兄弟は救世主受難の物語をSF映画に作り上げたのかも知れません。一方、タイトル画面の始まり部分の表現方法が、日本アニメ、押井守監督の「攻殻機動隊」を模倣していることもよく知られています。また、この3作目ではザイオンを守る戦闘員のリーダーミフネ船長が黒澤明監督映画に切っても切れない役者、三船敏郎のそっくりさんであることも、画像を見てすぐ分かります。

余談ですが、今年は黒澤明監督没後10年の年です。NHKでは、黒澤明監督全30作品を放送する予定だそうです。すでに放映された「用心棒」・「椿三十郎」は久しぶりに見ましたが、改めてその面白さに感心しました。今見ても、最近見た映画の中でも最も見応えのある映画と言えます。スピルバーグ監督は、作品を作る前にはいつも、「アラビアのロレンス」と「七人の侍」を見ると言ってます。昔の映像で、ロスでの黒澤監督のインタビュー番組でジョージ・ルーカスとフランシス・コッポラの両名が双子のようにりっぱな髭を生やして、サングラスをかけて出演しているのがありました。資金難であった「影武者」を救った出資者の二人です。その番組の中で、ジョージ・ルーカス監督は、黒澤監督の「隠し砦の三悪人」を見て、「スターウォーズ」の中のC3POとR2D2のロボットを思いついたことを語っていました。黒澤明監督は彼らにとって父親のような存在であるようでした。他の番組では、海外の関係者に黒澤明監督作品でどれが一番良かったかをアンケートしたところ、当時その頃までに作られた26作品のすべての名前が候補に上がったと紹介されていました。黒澤明監督がいかに世界中の映画関係者から高い評価を受け、尊敬されていたかを示しています。すごいですね。

さて、「マトリックス」も3作目となりますと、お話も随分込み入ってきます。
マシンは、人間の住んでいるザイオンに総攻撃することを開始しています。刻一刻とザイオンに絶滅の危機が迫っています。一方、マトリックスの中の特別警護員だったスミスは、ネオとの対決で破れてから、特別な能力を得てマシンとの接続を断ち、異常に増殖を繰り返しています。かつて、人間が資源を食い尽くしては増殖するウィルスであると言っていたスミスが、自らガン細胞であるかのように増殖してマトリックス世界の滅亡を目指し始めています。
ネオは、マトリックスの世界だけでなく実世界でも、不思議な能力を持つまでになっていました。機械であるセンチネルを自分の精神によって打撃を与えたのです。しかし、その瞬間ネオの精神はマトリックスと実世界の間の閉ざされた世界に飛ばされていました。
逆にスミスはひとりの人間の精神を支配するまでになり、人間世界でネオに近づいていました。

気がつくと、ネオは地下鉄の駅に寝ていました。現実世界ではありません。しかし、人間世界で言うインド系の親子と対面するのでした。
一家の人たちは、主人がラーマ・カンドラ、妻カマラ、そして娘のサティー。英文ではRama-Kandra、Kamala、そしてSati。
主人の名は、Ramachandraに酷似しています。Ramachandraは、古代インドの叙事詩ラーマヤナの主人公、あるいはヒンドゥー教のVishnu神の7番目の化身ラーマチャンドラの名です。Kamalaはインド産の植物の名ですが、Kamaはヒンドゥー神話の愛の神カーマ。SatiはSiva神の妻の名。父と夫の争いのあとで、みずから火の中に入って犠牲となったとあります。
描かれているのは、救世主受難の物語ばかりではないようです。
彼らはそれぞれプログラムのひとつです。しかし、ラーマから意外なことを聞くことになります。

「娘を心から愛しています。私の大切な宝物です。でも、我々の世界ではプログラムには目的が必要で、なければ削除されます。娘を救いたいのです。理解できない?」
「プログラムがー」
「愛を語るのは変だと?」
「愛は人間の感情だ。」
「ただの言葉です。大切なのは、言葉が表す”関係”です。愛する人がいますね。その人を守るために何をします?」
「何でも。」
「では、我々がここにいる理由は同じです。」(日本語字幕より)
「I love my daughter very much. I find her to be the most beautiful thing I have ever seen. But where we are from, that is not enough. Every program that is created must have a purpose. If it does not, it is deleted. I went to the Frenchman to save my daughter. You do not understand.」
「I just have never-」
「-heard a program speak of love.」
「It is a human emotion.」
「No, it is a word. What matters is the connection the word implies. I see that you are in love. Can you tell me what you would give to hold on to that connection?」
「Anything.」
「Then perhaps the reason you are here is not so different than the reason I am here.」(英語字幕より)

「私は娘をたいへん愛しています。私は彼女に今まで見た中でも最も美しいものを見出します。しかし、私たちが出て来た元のところでは、それは十分ではありません。作られたプログラムは皆目的を持っていなくてはなりません。そうでなければ削除されるのです。娘を救うために私はフランス人のところへ行きました。理解できないのですね。」
「ただ私は聞いたことがないんだ。」
「プログラムが愛を語るのを。」
「それは人間の感情だ。」
「いえ、それは言葉です。大事なのは、言葉の意味する関係です。あなたは誰かを愛してるのですね。言ってください。あなたはその関係を持続するために何をするでしょうか。」
「何でも。」
「それではおそらく、私たちがここにいる理由は、あなたがここにいる理由と大きな差はないようですね。」

「マトリックス」はいろいろと考えさせられることが多い映画です。あまり考えすぎないで物語を楽しむのが良さそうなんですが、やっぱり考えてしまいますね。ビジネス社会では、目標・目的管理が求められます。ビジネスマン・ウーマンは必死に目標・目的の達成を目指します。人間性が限られたものになりがちです。しかし一方、大きな意味で人生に意義・目的を見失ったら、人は生きる力を失うことにもなりかねません。ラーマ氏は娘が美しいだけでは不十分な世界を抜け出したと言います。まるで、存在するだけで生きる価値があるという世界を求めているかのようです。それは愛の結果であるようです。ネオは愛は人間の感情だと言います。しかし、プログラムであるラーマ氏はやさしい言葉使いで、しかしもっと厳しい定義を提唱します。それは何をするかであると。そのためになんでもすること。それは愛なのであると。

トリニティもまた自らの命をかけて、ネオの救出をフランス人から勝ち取りました。
救われたネオは予言者のところに向かいます。
1作目の話に戻りますが、ネオは、マトリックスの中でスミスに拳銃で撃たれ、一度命を失いました。しかし、トリニティの愛で復活しました。キリストも復活しました。この復活こそ、今の世界が仮のものであることを示すもので、信仰の核にもなるところです。現実と見えるこの世界が、実は仮のものであり、我々は精神的な世界をより良く生きることが大切なのであると。
ネオはしかし、なにをすればいいのか模索を続けています。神の化身として、救世主として人々の罪を購いながら、苦しんでいるわけではないのです。その暗さはないのです。明るくはありませんが。
復活をしたネオなのですが、ここに至って予言者は終わりを予言するのでした。生命あるものにとって、終わりは死を意味します。
「始まりがあるものにはすべて終わりがある。」(日本語字幕より)
「Everything that has a beginning has an end.」(英語字幕より)

一方、増殖を続けて、自ら支配の及ぶ世界が急速に広がっているスミスは、自己が膨張するときの高揚感に浸っているようです。そして、ネオのおかげで、あることがわかったと言います。
「すべての生物の目的は死ぬことだとね。」(日本語字幕より)
「The purpose of life is to end.」(英語字幕より)

明らかな間違いであるはずなのですが、反論は難しいですね。ただ、生きるものにとって、死は状態にしかすぎないと思います。生きるものがなにかをするのは、当然ながら生きている間のことでしょう。
スミスは倒しても、倒しても立ち上がるネオを恐れます。
スミスは人間の言う自由、真実、平和、そして愛を信じていません。人間の精神性を否定しているのです。当然、自らも精神性を否定していると考えられるのですが、そうしたとき死は最も恐れるべき事実となるのではないでしょうか。ネオは死を恐れず、スミスとの戦いに挑んでくるのです。
「なぜ、やめない? なぜ立ち上がり戦い続けようとする? 命を捨ててまで、守りたいものがあるか? それが何か分かっているのか? 自由か、真実か、平和か、それとも愛か? それはただの幻想だよ。愚かな人間の知性が、意味も目的もなく存在するのを正当化するための幻だ。マトリックスと同じ、虚構なのだ。つまらん愛とやらを作り出せるのは、人間だけだが。そろそろ分かっているはずだ。君は負ける。戦う意味はない。なぜだ? なぜそこまで戦う?」
「選択したからだ。」(日本語字幕より)
「Why do you do it? Why? Why get up? Why keep fighting? Do you believe you're fighting for something? For more than you survival? Can you tell me what it is? Do you even know? Is it freedom or truth? Perhaps peace? Could it be for love? Illusions, Mr. Anderson. Vagaries of perception. Temporary constructs of a feeble human intellect trying desperately to justify an existence that is without meaning or purpose! And all of them as artificial as the Matrix itself although only a human mind could invent something as insipid as love. You must be able to see it, Mr. Anderson. You must know it by now. You can't win. It's pointless to keep fighting. Why, Mr. Anderson, why? Why do you persist?」
「Because I choose to.」(英語字幕より)

「なぜそうする? なぜ? なぜ、立ち上がる? なぜ、戦い続ける? 何かのために戦っていると信じているのか? おまえが生き残ること以上のことのために? それが何か言えるのか? 知ってるのか? 自由それとも真実? ひょっとして平和? 愛のためだってこともありうる? 幻想だ、ミスター・アンダーソン。人間認知のあきれた奇行だよ。意味も目的もない存在を死にものぐるいで正当化するような足りない人間の知性が間に合わせに作り上げたものなんだ。そしてそれらすべては、マトリックスそれ自身のようにうわべだけのものだ。愛のような無味乾燥なものを発明するのは人間のこころだけだがな。おまえは分かるはずだ、ミスター・アンダーソン。もう知っているはずだ。おまえは勝てない。戦い続ける意味はない。なぜだ、ミスター・アンダーソン。なぜ? なぜ固執する?」
「なぜなら、選択したからだ。」

意外な言葉ではなかったでしょうか。「選択した」から死をも恐れなくなったのでしょうか。
ネオとトリニティは、生きていれば二人が望んだであろう世界のために尽くすことを選びました。自分たちの命が救われようと、救われまいとも。それはトリニティの死の前の言葉で強められ、彼女の死によって強く突きつけられたのです。彼は命を放り投げて、マシンに対峙したのですが、スミスを前に力の勝利を得ようとしました。
そこに、予言者のスミスと化した彼の口から、再びあの言葉が与えられたのでした。
「始まりがあるものにはすべて終わりがある、ネオ。」(日本語字幕より)
「Everything that has a beginning has an end, Neo.」(英語字幕より)

ネオは終わりを受け入れたかのようでした。
「お前は正しかった。これは必然だ。」(日本語字幕より)
「You were right, Smith. You were always right. It was inevitable.」(英語字幕より)

トリックだと恐れるスミスに、「避けられないことだった」と言います。スミスはネオが死を受け入れたと思ったか、ネオを同化します。このように激しく戦い、このように立ち上がり、このように言わなくては、スミスは同化を恐れ、ネオを倒すことに終止したかも知れません。
例えば、ネオは量子物理の世界の物質と反物質のように、なかったものからふたつが生まれたネオとスミスが終わりを迎えるには、ふたつがひとつになることが必要と理解したのかも知れません。
ネオは選択をまっとうすることができました。ネオは愛のためだったかも知れませんが、結局人生から与えられたものを選択し、選択したことに責任を持ったのです。
一方、スミスは何も受け入れることはできません。
「よせ。それはないぞ。」(日本語字幕より)
「Oh, no, no, no. No, it's not fair.」(英語字幕より)

サティーの「オラコー!」という呼びかけの言葉が印象的で、予言者の名前が「オラコー」じゃなかったかと思うぐらいです。
その「オラコー」と聞こえていた、「oracle」は神の言葉を告げる人のことで、絶対的真実を伝えることでもあります。しかし、予言者はそれを否定します。
「すべて知っていた?」
「いいえ、とんでもない。でも信じてた。信じてたの。」(日本語字幕より)
「Did you always know?」
「Oh, no. No, I didn't. But I believed. I believed.」(英語字幕より)

それは、絶対的未来があるのではなく、選択が大切であることを言っているかのようでした。

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「And that was only my first try.」「A thousand times goodnight」(「恋に落ちたシェークスピア」より)

MY DVD:「SHAKESPEARE IN LOVE:恋に落ちたシェークスピア(1998年製作)」販売:(株)ソニー・ピクチャーズエンタテイメント

シェークスピアです。たいへんです。私は本当は、「1000回、お休みを!」の「A thousand times, goodnight.」って、「ロミオとジュリエット」では、この映画で初めて聞いたような気がして、それを確かめたかっただけなんです。結局私は正しくもあり、間違いでもありましたが。でも仕方がありません。シェークスピアですから。
そもそもキーラ・ナイトレイの「プライドと偏見」で、彼女の姉がプロポーズを受けて、「Yes. A thousand times yes.」って言ってたのがすてきだなと思ったのが、はじまりでした。それまでは、「恋に落ちたシェークスピア」の中の「A thousand times, goodnight.」もあまり意識にあがらなかったのです。
さて、この「恋に落ちたシェークスピア」は、シェークスピア作品の悲劇「ロミオとジュリエット」と喜劇「十二夜」が作られた理由を独自の創造性で物語にしたものです。悲劇の「誕生秘話」というところですが、ラブ・コメディ風に仕上げられています。この映画でのヒロイン、ヴァイオラは「十二夜」のヒロインの名前でもあります。とにかく、シェークスピアの戯曲の美しいセリフが現代の映像特殊効果に負けない「言葉の特殊効果」となり、巧みな脚本と映像で見事に、見飽きぬ物語となっています。
シェークスピアの戯曲には、観ている者の創造性を沸き立たせるような豊かな表現があります。物事を表す素晴らしい形容や比喩のセリフが星のごとくちりばめられています。
映画化するのもたいへんな作品でしょうが、こうして内容を見てみるのもたいへんです。しかし、いざ鑑賞しようとして分かったのですが、戯曲は古い英語で綴られています。
オリビア・ハッシーの「ロミオとジュリエット」も、レオナルド・デカプリオの「ロミオ&ジュリエット」も脚色はされていても、セリフは古い英語のまま与えられています。この「恋に落ちたシェークスピア」でも、当然ですが、シェークスピアが書いた戯曲のセリフを表現するところは古い英語で語られています。残念ながら、セリフを「それなりに」楽しむということは、今回難しいものとなりました。
突然ですが、小学校の頃、先生の誰かが休むと代わりに教頭先生がやってきて、みんなに物語を話してくれました。教頭先生オリジナルの物語です。どんな内容だったかか覚えてませんが、どんなに楽しかったかだけは覚えています。「ユー・ガット・メール」でも、本屋でお話が上手なメグ・ライアンが本を読む時間になると大勢の子供が集まってくるシーンがありました。人は物語が好きですよね。物語には夢があります。そして許されるウソが混じってます。許されるホラとでもいいましょうか。シェークスピアの舞台でも、物語の始めに物語を説明する人物が登場します。あるいは舞台の上から観客に訴えかけてるかのような人物も他の作品にはあります。まるで劇自体が劇中劇であるかのようです。これは作られた「物語」であることを暗に示しています。観客は夢と知りながら夢を見ているような、覚めていながら酔わされるような状態を楽しむことになります。映画にもそんな作られたところがあり、またその作られた部分が物語の飛躍ともなっているように思えます。
「恋に落ちたシェークスピア」では、令嬢ヴァイオラが芝居やりたさに男性に変装して、シェークスピアの劇団に入り込むことになります。「そんなバナナ!」というところですが、ヴァイオラが変装したトマスが屋敷に戻るのを追っかけて、シェークスピアが同じ船に乗り込む場面は、この映画の中でもとてもいい場面となっています。シェークスピアは目の前のトマスが、恋いこがれているヴァイオラとも知らず愛を語ります。一方ヴァイオラは、その女心で男に扮装したトマスを通じて、シェークスピアの心を読み取ろうとします

「僕のハートは糸が切れた。箱を開けても、飛び出すことのない死んだ人形だ。」
「本当に恋を?」
「病と癒しを同時に味わってる気分。」
「分かるよ。雨が降ってて、太陽が照ってる。寒くて、同時に熱い。美人かい? 田舎から来たばかりで、ハッキリ見てない。彼女はそんなに美しい?」
「トマス、彼女の目の美しさを言葉で表現できたら。」
「唇は?」
「唇? バラも嫉妬で枯れるだろう。」
「声は。ひばりの歌のよう?」
「深く、柔らかく。女役の声とは大違い。ナイチンゲールの声もジャマになる歌声。」
「聞いたのか?」
「絶えず歌ってるに違いない。竪琴も見事に奏でる。そして胸。彼女の、あの胸。」
「どんな胸?」
「トマス。対をなす2つの黄金のリンゴ。」
「彼女が逃げるのも無理ない。思い込みが激しすぎる。僕に勝る目や唇を持った女が実在を? それに、富と称号を手にする女が河原の三文役者と結婚など!」
「恋に身分の差はない。河原も関係ない。王妃が旅役者に恋することも。恋をあきらめる? 魂を枯らすに等しいことだ。彼女に僕が庭で待ってると。」
「ウェセックス卿は?」
「1000人の彼と闘っても、彼女のキスを!」(日本語字幕より)
「Oh, Thomas, she has cut my strings. I'm unmanned, unmended and unmade like a puppet in a box.」
「Tell me how you love her, Will.」
「Like a sickness and its cure together.」
「Oh, yes. Like rain and sun. Like cold and heat. Is your lady beautiful? Since I came here from the country I have not seen her close. Tell me, is she beautiful?」
「Thomas, if I could write with the beauty of her eyes, I was born to look in them and know myself.」
「And her lips?」
「Her lips? The early morning rose would whither on the branch if it could feel envy.」
「and her voice, like lark's song?」
「Deeper, softer, None of your twittering larks. I would banish nightingales from her garden before they interrupt her song.」
「Ah, she sings too?」
「Constantly. Without doubt. And plays the lute. She has a natural ear. And her bosom. Did I mention her bosom?」
「What of her bosom?」
「Oh, Thomas, a pair of pippins as round and rare as golden apples.」
「I think milady is wise to keep your love at a distance. For what lady could live up to it close to when her eyes and lips and voice may be no more beautiful than mine. Besides, can a lady of wealth and noble marriage love happily with a bankside poet and player?」
「Yes, by God! Love knows nothing of rank or riverbank. It will spark between a queen and the poor vagabond who plays the king. Their love should be minded by each for love denied blights the soul we owe to God. So tell my lady William Shakespeare waits for her in the garden.」
「But what of Lord Wessex?」
「For one kiss I would defy a thousand Wessexs.」(英語字幕より)

いかにもシェークスピア的なセリフが続いています。シェークスピアの戯曲のどこからかの引用でしょうか。もし、創作だとしたら、仏教に「空」の思想ができたことぐらい、ブッダの後にブッダに匹敵するほどの人物が現れたとしか言いようがないように、現代にも現代のシェークスピアが存在することになりそうです。
この後、二人は結ばれるのですが、そのエッチの素晴らしさにヴァイオラは感激します。(なんとまあ、幸せな方で。)
初めてのエッチの素晴らしさは、かのシェークスピアの演劇より素晴らしいと言い、しかもそれはまた「自分の最初の試しにすぎなかった」と言います。つまり、本気の取り組みでなかったとか、本領は発揮できなかったとかの意味でしょう。ひょっとすると、演劇のけいこや映画の1テイク目などでは、よく使われる表現かもしれませんね。

「第2回目の上演を。」(日本語字幕より)
「And that was only my first try.」(英語字幕より)

とにかく、もう一度、いやあわよくばもっと素晴らしいものを、と欲張ってるようで。日本語字幕は表現が上品で、ユーモアがありましたね。
さて、寛容な乳母もさすがに朝は起きてもらわねばならないようで。夜が開けてしまって、日が替わったと催促します。

「新しい一日ですよ。」
「新しい世界よ!」(日本語字幕より)
「The house is stirring. It is a new day.」
「It is a new world.」(英語字幕より)

なんとまあ、ヴァイオラの幸せな一言でしょう。愛を知り、愛し愛されて、世界が一変したということなんでしょう。気の利いた日本語字幕でした。ヴィオラとの出会いで創造の泉が枯れていたシェークスピアは、溢れるばかりのインスピレーションを得て、戯曲を書き進めます。昼は稽古場でヴァイオラ扮するトマスが演じるロミオが愛を語り、夜はヴァイオラとシェークスピアがベッドの中で戯曲を読みながら愛し合う場面となります。
ロミオとジュリエットの出会いのシーンから、バルコニーのシーンまで。ヴァイオラとシェークスピアの繰り返され、重ねられる愛のやりとりの如く、古い英語のセリフが画面を飾り、昼と夜、劇場と寝室がページの表と裏のように一体化されながら、二人の愛が語られます。
次は、ロミオがジュリエットに近づくところ。巡礼者にとって指が触れ合うのは口づけと同じであり、唇は祈りのためのものと言うジュリエットに、ロミオは唇での口づけを求めます。二人が互いに運命の相手と知ったとは言え、たくみな言葉のあやつりです。

「では動かないで。祈りのしるしを頂きます。唇の罪は浄められました。」
「拭われた罪は私の唇に?」
「私の唇からの罪? もう一度お返し下さい。」(日本語字幕より)
「Then move not while my prayer's effect I take. Thus from my lips, by thine my sin is purged.」
「Then have my lips the sin that they have took.」
「Sin from my lips? Oh, trespass sweetly urged. Give me my sin again.」(英語字幕より)

初めて会って、2度もキスをするなんて。なんとたやすく愛は成就(じょうじゅ)することでしょう。もちろん「ロミオとジュリエット」の場合、それが真の愛であることは、誰の目にも疑いはないのですが。
引き続き映画では、ロミオとジュリエットのバルコニーのセリフが、夜のベッドでの贈り物としての原稿を読む場面から昼の舞台稽古へ、舞台稽古からベッドシーンへとつながれていきます。
そして「satisfaction:満足」「deep:深い」などの言葉に愛撫されながら、映像は二人の愛の営みを綴ります。

「満たされぬまま別れを?」
「今夜、どんな満足を?」
「真実の愛を誓い合いたい。」
「私の心は海のように広く、私の愛は海のように深く、与えれば与えるほど愛は増すのです。」(日本語字幕より)
「Oh, wilt thou leave me so unsatisfied?」
「What satisfaction canst thou have tonight?」
「The exchange of thy love's faithful vow for mine.」
「My bounty is as boundless as the sea. My love is deep. The more I give to thee the more I have for both are infinite.」(英語字幕より)

言葉が与える耽美な世界を直接的な映像の表現で重ねています。分かりやすい戯曲の解釈とも言えますが、もっと思わせぶりの方が、中身は濃くなったんじゃないかとも思います。
とにかく、この言葉です。

「心変わりをなさらないで。1000回、お休みを!」
「僕は1000倍も悲しい。」(日本語字幕より)
「To cease thy strife and leave me to my grief. A thousand times, goodnight.」
「A thousand times the worse to want thy light.」(英語字幕より)

シェークスピアオリジナルの脚本は次のようです。

「Madam!」
「I come, anon. But if thou meanest not well I do beseech thee-」
「Madam!」
「By and by I come. To cease thy strife and leave me to my grief. To-morrow will I send.」
「So thrive my soul--」
「A thousand times good night!」
「A thousand times the worse, to want thy light. Love goes toward love, as schoolboys from
their books, But love from love, toward school with heavy looks.」

世の中には捨てる神あれば、拾う神あり。インターネットでBARRON'S社「SHAKESPEARE MADE EASY」という本があって、オリジナルに現代英語訳をつけた本がありました。この本によりますと。

「Madam!」
「Coming now! But if you aren't serious, I beg you-」
「Madam!」
「Right now! - to court me no more and leave me to my grief. I'll get in touch tomorrow.」
「May my soul...」
「A thousand times, goodnight!」
「It's a thousand times worse, now your radiance has gone! Lovers seek their loved ones, as schoolboys quit their books, but lovers leave their loved ones, as scholars trudge to school.」(BARRON'S「SHAKESPEARE MADE EASY Romeo and Juliet」より)

この部分を、1968年製作、オリビア・ハッシーの「ロミオとジュリエット」で見ますと、次のようになります。

「今行くわ。もし偽りの愛ならどうかお願い... 行くったら。黙って私を泣かせて下さい。明日、使いを。」
「待っている。」
「では、おやすみになって。」(日本語字幕より)
「Madam!」
「I come, anon. But if thou mean'st not well, I do beseech thee.」
「Lady Juliet!」
「By and by, I come! To cease thy suit, and leave me to my grief. Tomorrow will I send.」
「So thrive my soul.」
「A thousand times goodnight!」(英語字幕より)

次に、1996年製作、レオナルド・デカプリオの「ロミオ&ジュリエット」で見ます。

「フリエットさま!」
「今すぐ行くわ。でも本気でないならー」
「フリエットさま!」
「すぐに行くわ。どうか、もう私を追わないで。明日、使いを。」
「魂にかけて。」
「よい夜を。」
「あなたなしには悲しい夜だ。」
「フリエットさま!」
「おやすみ。」
「恋人に会う心は、下校する生徒のように軽く、恋人と別れる心は、登校する生徒のように重い。」(日本語字幕より)
「Jurieta!」
「Ay! By and by, I come! But if thou meanest not well, I do beseech thee.」
「Juliet!」
「By and by, I come! To cease thy strife, and leave me to my grief. Tomorrow will I send.」
「So thrive my soul.」
「A thousand times good night.」
「A thousand times the worse, to want thy light!」
「Juliet! Julieta!」
「Good night.」
「Love goes toward love as schoolboys from
their books; but love from love, toward school with heavy looks.」(英語字幕より)

先に述べましたが、どちらの「ロミオとジュリエット」もオリジナルのしかも古い英語でのセリフを使ってます。現代的な映像で作られたデカプリオの映画の方が、セリフはむしろオリジナルにより忠実であることが分かります。
しかし、どちらも「1000回のグッドナイト」とは訳されていません。
本で、白水uブックス社・小田島雄志訳「ロミオとジュリエット」を見てみました。

「お嬢様!」
「行くわよ、すぐ。でも本心からでないならば、お願いです、どうかー」
「お嬢様!」
「すぐ行くわ。どうかもうおやめになって、私を一人悲しませて。明日、使いの者をやります。」
「この魂にかけて。」
「おやすみ、一千たびもよい夜でありますよう。」
「一千倍も悪い夜だ、あなたの光が消え失せては。恋人にあう心は下校する生徒のようにうきうきし、恋人と別れる心は登校する生徒のようにうかぬもの。」

ここでは1000という言葉が表現されています。
私は、「A thousand times good night」を楽しくて、素敵だと思うのですが、映画の字幕にはこれまで出てませんでした。しかし、英語のセリフはそのままでした。英語セリフにもっと光を!って思ってしまいますね。いや、すみません。「もっと光を!」って言ったのは、シェークスピアではなく、ゲーテでした。
1000回の”おやすみなさい”を!

MY DVD:「Romeo & Juliet:ロミオとジュリエット(1968年製作)」発売元:パラマウント・ジャパン株式会社 PHNA102276
MY DVD:「Romeo & Juliet:ロミオ&ジュリエット(1996年製作)」発売元:20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン株式会社 FXBNT-4143
MY BOOK:「SAHKESPEARE MADE EASY Romeo & Juliet:ロミオとジュリエット」BARRON'S社 ISBN 0-8120-3572-0
MY BOOK:「ロミオとジュリエット」小田島雄志訳 白水uブックス ISBN4-560-07010-5

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