「Because I choose to.」(「マトリックス レボリューションズ」より)
MY DVD:「MATRIX REVOLUTIONS:マトリックス レボリューションズ(2003年製作)」発売元:ワーナー・ホームビデオ DL33209
今回も紹介したい本があります。
松柏社 奥村みさ/スーザン・K・バートン/板倉厳一郎著 「映画でわかるアメリカ文化入門」です。
この本では、30本の映画を題材にアメリカ文化が紹介されています。その中で、「マトリックス」については、キリスト教的価値観が取り入れられていると紹介されています。たいへん興味深い内容です。
主人公ネオはもちろん映画の中でも「救世主」としての存在です。加えて、恋人のトリニティ:Trinityが「三位一体(さんみいったい)」で、映画の中で現実の人間が住んでいるザイオン(Zion)がユダヤ人にとっての約束の地シオン(Zion)を意味してるなどを教えてくれます。そして、この映画がキリストの受難物語をなぞっていることを示してくれます。
ちなみに、「三位一体」を広辞苑で引きますと、「(the Trinity)キリスト教で、創造主としての父なる神と、贖罪者キリストとして世に現れた子なる神と、信仰経験に顕示された精霊なる神とが、唯一なる神の三つの位格(ペルソナ)であるとする説。この3者に優劣の差はない。」となっています。残念ながら、ますます分からなくなりました。
ネオを救世主と信じて疑わないモーフィアス(Morpheus)はギリシャ神話に登場する眠りの神の子で夢の神(モルペウス)だそうです。
じゃあそれではと、この「レボリューションズ」に登場するナイオビ(Niobe)を辞書で引いてみると、「ギリシャ神話で愛児を皆殺しにされ、悲観のあまり石化してなお涙を流すタンタロスの娘(ニオベー)」となります。
こうなりますと、「マトリックス」3部作に登場する人物全部を調べなくてはならなくなりそうです。申し訳ありませんが、それは興味のある方におまかせしたいと思います。
とにかく、この映画で描かれてる、この世界が実は機械が支配しているプログラムによるものだという、一見荒唐無稽とも思える物語が、実は救世主受難の物語を意識していることを知っただけでも儲け物ですよね。ジョージ・ルーカスがアメリカに神話をSF映画「スターウォーズ」でもたらしたように、ウォシャウスキー兄弟は救世主受難の物語をSF映画に作り上げたのかも知れません。一方、タイトル画面の始まり部分の表現方法が、日本アニメ、押井守監督の「攻殻機動隊」を模倣していることもよく知られています。また、この3作目ではザイオンを守る戦闘員のリーダーミフネ船長が黒澤明監督映画に切っても切れない役者、三船敏郎のそっくりさんであることも、画像を見てすぐ分かります。
余談ですが、今年は黒澤明監督没後10年の年です。NHKでは、黒澤明監督全30作品を放送する予定だそうです。すでに放映された「用心棒」・「椿三十郎」は久しぶりに見ましたが、改めてその面白さに感心しました。今見ても、最近見た映画の中でも最も見応えのある映画と言えます。スピルバーグ監督は、作品を作る前にはいつも、「アラビアのロレンス」と「七人の侍」を見ると言ってます。昔の映像で、ロスでの黒澤監督のインタビュー番組でジョージ・ルーカスとフランシス・コッポラの両名が双子のようにりっぱな髭を生やして、サングラスをかけて出演しているのがありました。資金難であった「影武者」を救った出資者の二人です。その番組の中で、ジョージ・ルーカス監督は、黒澤監督の「隠し砦の三悪人」を見て、「スターウォーズ」の中のC3POとR2D2のロボットを思いついたことを語っていました。黒澤明監督は彼らにとって父親のような存在であるようでした。他の番組では、海外の関係者に黒澤明監督作品でどれが一番良かったかをアンケートしたところ、当時その頃までに作られた26作品のすべての名前が候補に上がったと紹介されていました。黒澤明監督がいかに世界中の映画関係者から高い評価を受け、尊敬されていたかを示しています。すごいですね。
さて、「マトリックス」も3作目となりますと、お話も随分込み入ってきます。
マシンは、人間の住んでいるザイオンに総攻撃することを開始しています。刻一刻とザイオンに絶滅の危機が迫っています。一方、マトリックスの中の特別警護員だったスミスは、ネオとの対決で破れてから、特別な能力を得てマシンとの接続を断ち、異常に増殖を繰り返しています。かつて、人間が資源を食い尽くしては増殖するウィルスであると言っていたスミスが、自らガン細胞であるかのように増殖してマトリックス世界の滅亡を目指し始めています。
ネオは、マトリックスの世界だけでなく実世界でも、不思議な能力を持つまでになっていました。機械であるセンチネルを自分の精神によって打撃を与えたのです。しかし、その瞬間ネオの精神はマトリックスと実世界の間の閉ざされた世界に飛ばされていました。
逆にスミスはひとりの人間の精神を支配するまでになり、人間世界でネオに近づいていました。
気がつくと、ネオは地下鉄の駅に寝ていました。現実世界ではありません。しかし、人間世界で言うインド系の親子と対面するのでした。
一家の人たちは、主人がラーマ・カンドラ、妻カマラ、そして娘のサティー。英文ではRama-Kandra、Kamala、そしてSati。
主人の名は、Ramachandraに酷似しています。Ramachandraは、古代インドの叙事詩ラーマヤナの主人公、あるいはヒンドゥー教のVishnu神の7番目の化身ラーマチャンドラの名です。Kamalaはインド産の植物の名ですが、Kamaはヒンドゥー神話の愛の神カーマ。SatiはSiva神の妻の名。父と夫の争いのあとで、みずから火の中に入って犠牲となったとあります。
描かれているのは、救世主受難の物語ばかりではないようです。
彼らはそれぞれプログラムのひとつです。しかし、ラーマから意外なことを聞くことになります。
「娘を心から愛しています。私の大切な宝物です。でも、我々の世界ではプログラムには目的が必要で、なければ削除されます。娘を救いたいのです。理解できない?」
「プログラムがー」
「愛を語るのは変だと?」
「愛は人間の感情だ。」
「ただの言葉です。大切なのは、言葉が表す”関係”です。愛する人がいますね。その人を守るために何をします?」
「何でも。」
「では、我々がここにいる理由は同じです。」(日本語字幕より)
「I love my daughter very much. I find her to be the most beautiful thing I have ever seen. But where we are from, that is not enough. Every program that is created must have a purpose. If it does not, it is deleted. I went to the Frenchman to save my daughter. You do not understand.」
「I just have never-」
「-heard a program speak of love.」
「It is a human emotion.」
「No, it is a word. What matters is the connection the word implies. I see that you are in love. Can you tell me what you would give to hold on to that connection?」
「Anything.」
「Then perhaps the reason you are here is not so different than the reason I am here.」(英語字幕より)
「私は娘をたいへん愛しています。私は彼女に今まで見た中でも最も美しいものを見出します。しかし、私たちが出て来た元のところでは、それは十分ではありません。作られたプログラムは皆目的を持っていなくてはなりません。そうでなければ削除されるのです。娘を救うために私はフランス人のところへ行きました。理解できないのですね。」
「ただ私は聞いたことがないんだ。」
「プログラムが愛を語るのを。」
「それは人間の感情だ。」
「いえ、それは言葉です。大事なのは、言葉の意味する関係です。あなたは誰かを愛してるのですね。言ってください。あなたはその関係を持続するために何をするでしょうか。」
「何でも。」
「それではおそらく、私たちがここにいる理由は、あなたがここにいる理由と大きな差はないようですね。」
「マトリックス」はいろいろと考えさせられることが多い映画です。あまり考えすぎないで物語を楽しむのが良さそうなんですが、やっぱり考えてしまいますね。ビジネス社会では、目標・目的管理が求められます。ビジネスマン・ウーマンは必死に目標・目的の達成を目指します。人間性が限られたものになりがちです。しかし一方、大きな意味で人生に意義・目的を見失ったら、人は生きる力を失うことにもなりかねません。ラーマ氏は娘が美しいだけでは不十分な世界を抜け出したと言います。まるで、存在するだけで生きる価値があるという世界を求めているかのようです。それは愛の結果であるようです。ネオは愛は人間の感情だと言います。しかし、プログラムであるラーマ氏はやさしい言葉使いで、しかしもっと厳しい定義を提唱します。それは何をするかであると。そのためになんでもすること。それは愛なのであると。
トリニティもまた自らの命をかけて、ネオの救出をフランス人から勝ち取りました。
救われたネオは予言者のところに向かいます。
1作目の話に戻りますが、ネオは、マトリックスの中でスミスに拳銃で撃たれ、一度命を失いました。しかし、トリニティの愛で復活しました。キリストも復活しました。この復活こそ、今の世界が仮のものであることを示すもので、信仰の核にもなるところです。現実と見えるこの世界が、実は仮のものであり、我々は精神的な世界をより良く生きることが大切なのであると。
ネオはしかし、なにをすればいいのか模索を続けています。神の化身として、救世主として人々の罪を購いながら、苦しんでいるわけではないのです。その暗さはないのです。明るくはありませんが。
復活をしたネオなのですが、ここに至って予言者は終わりを予言するのでした。生命あるものにとって、終わりは死を意味します。
「始まりがあるものにはすべて終わりがある。」(日本語字幕より)
「Everything that has a beginning has an end.」(英語字幕より)
一方、増殖を続けて、自ら支配の及ぶ世界が急速に広がっているスミスは、自己が膨張するときの高揚感に浸っているようです。そして、ネオのおかげで、あることがわかったと言います。
「すべての生物の目的は死ぬことだとね。」(日本語字幕より)
「The purpose of life is to end.」(英語字幕より)
明らかな間違いであるはずなのですが、反論は難しいですね。ただ、生きるものにとって、死は状態にしかすぎないと思います。生きるものがなにかをするのは、当然ながら生きている間のことでしょう。
スミスは倒しても、倒しても立ち上がるネオを恐れます。
スミスは人間の言う自由、真実、平和、そして愛を信じていません。人間の精神性を否定しているのです。当然、自らも精神性を否定していると考えられるのですが、そうしたとき死は最も恐れるべき事実となるのではないでしょうか。ネオは死を恐れず、スミスとの戦いに挑んでくるのです。
「なぜ、やめない? なぜ立ち上がり戦い続けようとする? 命を捨ててまで、守りたいものがあるか? それが何か分かっているのか? 自由か、真実か、平和か、それとも愛か? それはただの幻想だよ。愚かな人間の知性が、意味も目的もなく存在するのを正当化するための幻だ。マトリックスと同じ、虚構なのだ。つまらん愛とやらを作り出せるのは、人間だけだが。そろそろ分かっているはずだ。君は負ける。戦う意味はない。なぜだ? なぜそこまで戦う?」
「選択したからだ。」(日本語字幕より)
「Why do you do it? Why? Why get up? Why keep fighting? Do you believe you're fighting for something? For more than you survival? Can you tell me what it is? Do you even know? Is it freedom or truth? Perhaps peace? Could it be for love? Illusions, Mr. Anderson. Vagaries of perception. Temporary constructs of a feeble human intellect trying desperately to justify an existence that is without meaning or purpose! And all of them as artificial as the Matrix itself although only a human mind could invent something as insipid as love. You must be able to see it, Mr. Anderson. You must know it by now. You can't win. It's pointless to keep fighting. Why, Mr. Anderson, why? Why do you persist?」
「Because I choose to.」(英語字幕より)
「なぜそうする? なぜ? なぜ、立ち上がる? なぜ、戦い続ける? 何かのために戦っていると信じているのか? おまえが生き残ること以上のことのために? それが何か言えるのか? 知ってるのか? 自由それとも真実? ひょっとして平和? 愛のためだってこともありうる? 幻想だ、ミスター・アンダーソン。人間認知のあきれた奇行だよ。意味も目的もない存在を死にものぐるいで正当化するような足りない人間の知性が間に合わせに作り上げたものなんだ。そしてそれらすべては、マトリックスそれ自身のようにうわべだけのものだ。愛のような無味乾燥なものを発明するのは人間のこころだけだがな。おまえは分かるはずだ、ミスター・アンダーソン。もう知っているはずだ。おまえは勝てない。戦い続ける意味はない。なぜだ、ミスター・アンダーソン。なぜ? なぜ固執する?」
「なぜなら、選択したからだ。」
意外な言葉ではなかったでしょうか。「選択した」から死をも恐れなくなったのでしょうか。
ネオとトリニティは、生きていれば二人が望んだであろう世界のために尽くすことを選びました。自分たちの命が救われようと、救われまいとも。それはトリニティの死の前の言葉で強められ、彼女の死によって強く突きつけられたのです。彼は命を放り投げて、マシンに対峙したのですが、スミスを前に力の勝利を得ようとしました。
そこに、予言者のスミスと化した彼の口から、再びあの言葉が与えられたのでした。
「始まりがあるものにはすべて終わりがある、ネオ。」(日本語字幕より)
「Everything that has a beginning has an end, Neo.」(英語字幕より)
ネオは終わりを受け入れたかのようでした。
「お前は正しかった。これは必然だ。」(日本語字幕より)
「You were right, Smith. You were always right. It was inevitable.」(英語字幕より)
トリックだと恐れるスミスに、「避けられないことだった」と言います。スミスはネオが死を受け入れたと思ったか、ネオを同化します。このように激しく戦い、このように立ち上がり、このように言わなくては、スミスは同化を恐れ、ネオを倒すことに終止したかも知れません。
例えば、ネオは量子物理の世界の物質と反物質のように、なかったものからふたつが生まれたネオとスミスが終わりを迎えるには、ふたつがひとつになることが必要と理解したのかも知れません。
ネオは選択をまっとうすることができました。ネオは愛のためだったかも知れませんが、結局人生から与えられたものを選択し、選択したことに責任を持ったのです。
一方、スミスは何も受け入れることはできません。
「よせ。それはないぞ。」(日本語字幕より)
「Oh, no, no, no. No, it's not fair.」(英語字幕より)
サティーの「オラコー!」という呼びかけの言葉が印象的で、予言者の名前が「オラコー」じゃなかったかと思うぐらいです。
その「オラコー」と聞こえていた、「oracle」は神の言葉を告げる人のことで、絶対的真実を伝えることでもあります。しかし、予言者はそれを否定します。
「すべて知っていた?」
「いいえ、とんでもない。でも信じてた。信じてたの。」(日本語字幕より)
「Did you always know?」
「Oh, no. No, I didn't. But I believed. I believed.」(英語字幕より)
それは、絶対的未来があるのではなく、選択が大切であることを言っているかのようでした。
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